作り手へのこだわり

全国から見つけ出した老舗と
タッグを組んだモノ作り
東京の浅草、大阪の大国町、兵庫の姫路、いずれも1000年以上続く歴史を持つ国内有数の革の産地です。オルタナデザインでは、そんな革の産地を巡り歩き出会った創業100年近い歴史を持つ老舗のタンナーや工房と一緒にモノ作りをしています。
国内の老舗にこだわる理由は、裁断から仕上げに至るまで行き届いた繊細な心配り、良いモノを作り出すことへの情熱、新しいモノへの飽くなき探究心、そうした日本の伝統的な職人のDNAが脈々と受け継がれてきているから。全ての工程を丁寧な仕事と確かな技術を持った国内の老舗工房で製作することで、確かな品質のラインナップを揃えています。本当に良いモノを長く使い続けて欲しい、そんな想いから生まれたブランドのこだわりです。

東京・浅草〜皮革産業の集積地に根付くモノづくりの文化〜
オルタナデザインが一緒にモノづくりをしている老舗が多く集まるエリアの一つである浅草。浅草は、江戸時代から皮革産業と関わりが深い地域です。もともとは、皮革の加工や流通を管理していた弾左衛門が、現在の今戸(浅草周辺)に拠点を置き、皮革原料や製品の取引が行われていたことが、今に続く皮革産業の中心地となるきっかけの一つと言われています。さらに、下駄や履物の鼻緒、袋物など革製品に関わる職人が多数集まっていたことで、皮革の加工・流通・製品作りが一体的に発展しやすい土壌がありました。
明治時代以降、職人たちが浅草地域に定着し多様な働き方で産業に関わったことから、分業体制や職人文化が根付いていき、これにより浅草は自然と皮革産業の中心地となり、歴史的な個性を強めていきました。
浅草で皮革産業が発展したもう一つの理由に、隅田川に近い「水利」と「流通」の良さがあります。皮革加工には大量の水が必要であり、川辺の立地は大きな利点でした。また、江戸の中心として交通・流通の要所だったことも商流や産業の発展を後押ししました。
地の利がある地域内には原皮や革素材を流通させる問屋が集まり、仕入れから仕上げまでの様々な工程が地域内で完結できる産業集積が自然にできあがりました。川沿いの立地は材料や製品の運搬にも便利で、幅広い人材が集まりやすい土壌となり、分業や技術継承にも大きく寄与してきたことにより、今の浅草が形作られました。
こうした歴史的・地理的な強みを背景に、浅草には革問屋、職人、加工業者、小売業者がいまも密集しています。その結果、技術革新やデザイン開発も地域内で活発に行われ、「革の街」としての独自の文化とネットワークが育まれています。また、台東区周辺には皮革関連の資料館やイベントも多く、地域全体で皮革文化を支えています。
そうしたモノづくりの土壌が根付く地域では、代々続く職人の技術や、長い時間をかけて育まれた目利きにより集まった素材に出会う機会が多く、思いもよらない新しい発想に出会うことが多くあります。そうした出会いを大切にしながらオルタナデザインでは、日々新しい商品開発に取り組んでいます。

大阪・大国町〜皮革産業のメッカに宿る素材と人情〜
オルタナデザインの素材探しにおいて重要な場所として大阪・大国町があります。大阪・大国町は、かつて「皮革産業のメッカ」と呼ばれた町です。その歴史は古く、江戸時代には海に近い立地を活かして「木津」とも呼ばれ、材木やさまざまな商品が集積される地として栄えてきました。明治以降、周辺から職人や商人が集まり、革製品の原材料や製品を扱う問屋が集中。特に靴・手袋・バッグ・スポーツ用品など、幅広い用途の革を扱う店が軒を連ね、全国から「大国に行けば何でも揃う」と信頼される産地・流通拠点となりました。
町全体には数多くの素材問屋や加工業者があり、1階が作業場・2階が住居という家屋も多く見られました。職人たちは身近に資材を仕入れ、近隣で製品を仕上げて販売するという分業とネットワークが自然に構築されて出来た町です。1960年代には大阪皮革会館も設立され、業界の連携や技術情報の共有も進み、この街独自の皮革文化が発展しました。
大国町の大きな強みは、昔も今も交通の利便性があります。かつて産業の集積地であっただけでなく、いまもJR線・大阪メトロ・市バス・市電など交通網が集中し、関西一円はもちろん全国から材料・製品が迅速に集まりやすい状況が整っています。工業都市・堺へのアクセスも良く、原材料や仕上がった製品の搬出入がスムーズに行えたため、素材問屋・卸・加工・小売の各機能が町内で密接につながる産業集積が進みました。
また、都市近郊でありながら狭い路地には小型の工場や店舗がぎっしり立ち並び、表通りの商業機能と裏通りの職人文化が混在するという独特の町並みも特徴の一つ。この環境が、小規模事業者同士の助け合いと技術継承を促し、地域全体で皮革産業の強いネットワークを築くことに貢献しました。
こうした歴史的・地理的な背景によって、大国町は原材料の流通、職人の経験値、加工技術、そして製品の多様性まで、皮革産業におけるすべての要素が町内でまとまる「産業と文化の街」となりました。かつては「皮革通り」や「材料屋さん通り」と呼ばれるエリアも存在し、定期的な展示会や業者間の組合活動も盛んで、情報交換や技術開発が地域ぐるみで進められてきました。
大阪・大国町の皮革産業の強みは、長い歴史が育てた職人文化と流通網、そして優れた立地条件を背景に、多様な産業集積とネットワークが築かれてきた点です。こうした地域の土壌が生んだ伝統と発展性が、大国町を全国有数の皮革産業集積地として支えてきました。
大国町を探索する中で、様々な情報や人情に触れることで、今まで思いもよらなかった世界に出会うことが出来ることも、モノづくりの醍醐味の一つです。

兵庫・姫路〜独自の価値観を追求するクリエイティブの町〜
オルタナデザインにとって関西で欠かせない革の産地のもう一つは兵庫・姫路です。兵庫県姫路市は、日本でも有数の「革づくりのまち」として知られ、その歴史は1000年以上にもさかのぼります。平安時代の法典『延喜式』(927年)には、姫路を含む播磨地方が皮革の産地として記録されていました。古くから甲冑や武具、馬具、袋物といった多様な革製品の生産地として発展を遂げ、江戸時代には姫路藩の重要な財源ともなりました。
「姫路白鞣革(しろなめしがわ)」は姫路の伝統工芸品として特に有名で、塩と菜種油で鞣された艶やかで耐久性の高い革は、豊臣秀吉や多くの武将にも愛されました。明治以降は世界各地の博覧会にも出品され、国内外から高評価を得るなど、姫路レザーの名は全国に知られるようになりました。
姫路市の東部を流れる「市川」は、皮を鞣すのに適した澄んだ水をもたらし、革づくりに理想的な環境を提供しています。また、姫路は比較的温暖で天候が安定しているため、皮の天日干しにも適していました。瀬戸内海に近いことで塩の調達も容易であり、昔から鞣し工程に必要な資源が身近で手に入る土地でした。
牛の飼育が盛んな西日本に位置し、良質な牛皮を容易に入手できたことも大きな強みです。大阪や京都など消費地にも近く、原材料や製品の流通にも非常に恵まれていました。これらの条件がそろったことで、産業としてのスケールアップと安定的な発展につながりました。
姫路には伝統的な技術を持つ職人が世代を超えて受け継がれ、今も多様なレザーが生産されています。「姫路レザー」は国内皮革生産の約6~7割を占めると言われており、高い品質と多様性を誇ります。また、地域を挙げて皮革祭りや見学施設を整備し、「革のまち姫路」の文化体験も積極的に発信しています。
姫路の皮革産業の強みは、1000年超の歴史で磨かれた職人文化、川・気候・地理に恵まれた立地条件、そして圧倒的な産業集積による多様で高品質な革製品の生産力にあります。これらの要素が姫路を日本屈指、世界でも注目される皮革産業の一大拠点へと導いています。
姫路は国内最大級のコードバンの産地であったり、黒桟革や白鞣革といった独自の魅力を追求した素材があったりと、皮革に関わる者としては外せない土地です。オルタナデザインでも新製品開発のためには、まず赴く土地の一つです。